皆さんは、学校に行くのが当たり前だと思いますか?
おそらく多くの人は、「子どもは学校へ行くもの」と考えるのではないでしょうか。
筆者自身も、子どもの頃はそれが当たり前だと思っていました。
学校へ行って、決められた時間割に沿って授業を受け、みんなと同じように勉強する。
それが普通。
学校へ行きたくない日があっても、「行かなければならない」と考える。
しかし、今になって考えてみると、こんな疑問が浮かびます。
「なぜ、全員が同じ場所で、同じ時間に、同じ方法で学ばなければならないのだろう?」
もちろん、学校には学校にしかない良さがあります。
友達との交流、集団生活、社会性を身につけること、先生から直接学べること。
学校という場所が、多くの子どもにとって大切な居場所であることは間違いありません。
一方で、すべての子どもが学校という環境に合うとは限りません。
人間には、それぞれ性格も違えば、得意なことも苦手なことも違います。
朝起きるのが苦手な子。
大人数の環境が苦手な子。
人間関係に悩んでしまう子。
集団授業より、一人で自分のペースで勉強したほうが力を発揮できる子。
学校という環境が合わないからといって、その子に「学ぶ能力がない」とは限りません。
では、日本では学校に行けなくなった子どもに、どのような選択肢があるのでしょうか?
今回は、**「義務教育」と「学校に行かないという選択肢」**について考えてみたいと思います。
不登校は、決して珍しいことではなくなっている
まず、現在の日本で不登校がどれほど増えているのかを見てみましょう。
文部科学省の令和6年度調査によると、小・中学校の不登校児童生徒数は約35万4,000人となり、過去最多を更新しました。
しかも、小・中学校の不登校児童生徒数は12年連続で増加しています。
これは、単純に「学校へ行きたくない子どもが増えた」とだけ考えるべき問題ではないでしょう。
学校生活、人間関係、家庭環境、学習面、心身の状態など、背景にはさまざまな要因があります。
そして大切なのは、
「学校へ行けない=何もしていない」ではない
ということです。
学校へ行けない時期にも、自宅で勉強したり、好きなことを突き詰めたり、誰かと交流したりすることはできます。
問題は、「学校へ行けないこと」そのものよりも、
学校へ行けなくなった瞬間に、学ぶ場所や人とのつながりまで失ってしまうこと
なのではないでしょうか。
「義務教育」の「義務」は誰にある?
ここは、今回の記事で特に知っておきたいポイントです。
「義務教育」という言葉から、
「子どもには学校へ行く義務がある」
と思っている人もいるかもしれません。
しかし、法律上の義務は少し違います。
教育基本法では、国民は「その保護する子に、普通教育を受けさせる義務」を負うとされています。
また、学校教育法では、保護者が子どもを小学校・中学校などに就学させる義務について定められています。
つまり、ざっくり言えば、
「子ども本人に学校へ行く義務を課す」というより、保護者が子どもに教育を受けさせることを義務づけている
という仕組みです。
ここは非常に重要です。
もちろん、だからといって「明日から学校へ行かなくても法律上まったく問題ない」という単純な話ではありません。
日本の義務教育制度は、基本的には学校への就学を中心として設計されています。
ただし、不登校など、さまざまな事情によって学校へ通うことが難しい子どもへの支援については、国も「学校へ戻すこと」だけを唯一の目的にするのではなく、多様な教育機会を確保する方向へ進んでいます。
この違いを知っておくだけでも、「義務教育=絶対に毎日学校へ行かなければならない」というイメージは少し変わるのではないでしょうか。
学校へ行けなくなったら、どうすればいい?
では、実際に子どもが不登校になった場合、どのような選択肢があるのでしょうか。
大切なのは、
「とにかく学校へ戻す」ことだけを目標にしないこと
です。
もちろん本人が学校へ戻りたいのであれば、そのための支援は必要です。
しかし、本人が今は休む必要があるのであれば、まず心身を休ませることも大切です。
文部科学省も、不登校児童生徒に対して教育支援センター、フリースクールなどの民間施設、ICTを活用した学習支援など、多様な教育機会を確保する必要性を示しています。
具体的には、次のような選択肢があります。
① 教育支援センター
自治体の教育委員会などが設置している施設です。
学習支援だけではなく、相談や居場所としての役割を持つ場合もあります。
在籍している学校と連携しながら支援を受けられることもあります。
「学校そのものには行きづらいけれど、家にずっといるのもつらい」
という子どもにとって、一つの選択肢になるでしょう。
② フリースクール
民間団体やNPOなどが運営している学びや居場所の場です。
学校とは違ったカリキュラムで勉強したり、体験活動をしたり、他の子どもたちと交流したりできます。
ただし、フリースクールに通えば必ず在籍校の出席扱いになるわけではありません。
一定の要件を満たし、学校側が適切と判断した場合などに、指導要録上「出席扱い」とすることが可能です。
ここは誤解しやすいところなので、
「フリースクール=学校の代わりとして自動的に出席扱い」ではない
と覚えておいたほうがよいでしょう。
③ 自宅でのICT学習
現在は、インターネットを使って自宅から学習することもできます。
文部科学省は、不登校の児童生徒が一定の要件を満たしてICTなどを活用した学習を行った場合、校長の判断によって指導要録上の出席扱いとしたり、学習成果を評価に反映したりできる仕組みを設けています。
つまり、
「学校へ行けない=勉強できない」
という時代ではなくなっているのです。
もちろん、利用には学校との連携など一定の条件があります。
それでも、以前と比べれば学び方の選択肢は確実に増えています。
「学校に行かない」と「何もしない」は違う
ここは非常に重要なポイントです。
「学校に行かない」という言葉だけを見ると、
「じゃあ毎日ゲームして過ごすの?」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、学校に行かないことと、学ぶことをやめることは同じではありません。
例えば、
- 自宅で学校の勉強をする
- オンライン教材を利用する
- 本を読む
- プログラミングを学ぶ
- 絵や音楽を学ぶ
- スポーツに取り組む
- フリースクールへ通う
- オンラインで人と交流する
- 興味のある分野を徹底的に調べる
など、学び方はいくらでもあります。
学校では、基本的に「みんなで同じ授業を受ける」という形式が中心です。
しかし社会に出れば、学び方はもっと自由です。
本を読む人もいれば、動画を見る人もいる。
誰かに教えてもらう人もいれば、独学する人もいる。
資格学校へ通う人もいれば、オンライン講座を受ける人もいる。
そう考えると、
「子どもの頃だけ、全員がほぼ同じ方法で学ばなければならない」
という仕組みに疑問を持つ人が出てくるのも、ある意味では自然なのかもしれません。
不登校になると「世間の目」が気になる?
制度の問題だけではありません。
不登校を考えるとき、もう一つ無視できないのが「周囲の目」です。
「学校に行っていないの?」
「どうして行かないの?」
「将来大丈夫なの?」
本人や保護者が、周囲からこうした言葉をかけられることもあるでしょう。
もちろん、心配して言っている場合もあります。
しかし、本人や家族からすると、その言葉が大きなプレッシャーになることがあります。
特に日本では、
「みんなと同じようにする」
ことを良しとする文化が比較的強いと言われます。
学校へ行く。
高校へ進学する。
大学へ行く。
就職する。
そして働き続ける。
こうした「一般的なルート」から外れると、
「何か問題があるのでは?」
と思われてしまうことがあります。
しかし、人生は本来そんなに一本道ではありません。
「学校に戻ること」だけがゴールでいいのか?
不登校について考えるとき、筆者が一番疑問に感じるのがここです。
もちろん、学校へ戻れるようになることは一つの選択肢です。
本人が「また学校へ行きたい」と思っているのであれば、それを支えるべきでしょう。
しかし、
「学校へ戻れた=成功」
「戻れなかった=失敗」
という考え方になってしまうと、少し違うのではないでしょうか。
文部科学省も、不登校支援について「学校に登校する」という結果だけを目標にするのではなく、社会的な自立を目指すことを基本的な考え方として示しています。
そう考えると、本当に大切なのは、
「どの学校に通ったか」ではなく、「その子が将来、自分らしく社会で生きていけるか」
なのかもしれません。
中学校に行けなくても、その先の進路はある
「中学校にほとんど行っていないけど、将来どうなるの?」
と心配する人もいるでしょう。
しかし、中学校時代に不登校を経験したからといって、その時点で人生の選択肢がなくなるわけではありません。
中学校卒業後には、
- 全日制高校
- 定時制高校
- 通信制高校
- 単位制高校
- 高等専修学校
- 高等学校卒業程度認定試験(高卒認定)
など、さまざまな進路があります。
もちろん、進学にはそれぞれ条件があります。
しかし、
「中学校に毎日通えなかったから人生終了」
というような単純な話ではありません。
人生は学校を卒業した後も続きます。
むしろ、学校を卒業してからの時間のほうが圧倒的に長いのです。
では、義務教育そのものを変える必要があるのでは?
ここからは少し大胆な話です。
日本の義務教育は、長い歴史の中で多くの子どもたちに教育の機会を提供してきました。
誰でも一定水準の教育を受けられる。
家庭の経済状況に左右されず、公立学校で教育を受けられる。
これは日本の教育制度の大きなメリットです。
だから、
「今の学校制度は全部ダメだから壊してしまおう」
という話ではありません。
むしろ逆です。
この「誰でも教育を受けられる」という仕組みを維持しながら、
「学び方の選択肢をもっと増やせないか?」
という話です。
例えば、
「学校に毎日通う」
だけではなく、
「週に数日は学校、残りは別の場所で学ぶ」
「オンラインを中心に学ぶ」
「フリースクールを中心に学ぶ」
「興味のある分野を重点的に学ぶ」
「少人数の学校を選ぶ」
といった選択肢が、もっと当たり前になってもいいのではないでしょうか。
教育バウチャーのような仕組みは日本でも可能なのか?
そこで考えられるのが「教育バウチャー」のような仕組みです。
簡単に言えば、
「子ども一人ひとりに教育費を割り当て、そのお金を使って自分に合った教育サービスを選べるようにする」
という考え方です。
もちろん、海外にもさまざまな制度があり、制度設計や対象、財源などは国によって大きく異なります。
日本でそのまま導入できるわけではありません。
しかし、
「公立学校に通わなければ教育費の支援を受けられない」
という仕組みから、
「子どもが適切な教育を受けるために公的なお金を使う」
という考え方に変えていくことは、一つの議論になるでしょう。
特にフリースクールなどを利用した場合の経済的負担をどうするのかは、大きな課題です。
学校に通えない子どもほど、教育費の自己負担が増えるという状況になれば、家庭の経済力によって「選べる教育」に差が生まれてしまいます。
これでは、
「教育の多様化」なのに「経済格差による教育格差」を広げてしまう
可能性があります。
だからこそ、もし学校以外の学びを本格的に選択肢として認めるのであれば、費用負担についても同時に考える必要があるでしょう。
日本でも「多様な学び」は少しずつ始まっている
実は日本も、何も変わっていないわけではありません。
不登校の児童生徒への支援として、教育支援センター、フリースクールなどの民間施設、ICTを活用した学習支援など、多様な教育機会を確保する方向へ政策は進んでいます。
また、従来「不登校特例校」と呼ばれていた学校は、現在では**「学びの多様化学校」**という名称で整備が進められています。
こうした学校では、不登校の児童生徒の実態に配慮して、通常の学校より柔軟な教育課程を編成することができます。
つまり、
「学校に行けないなら、普通の学校へ戻るしかない」
という考え方から、
「その子に合った学校や学び方を用意する」
という方向へ、少しずつ変化しているわけです。
「みんな同じ」から「それぞれ違う」へ
筆者が今回の記事で一番伝えたいのは、
「学校をなくそう」
ということではありません。
学校には学校の良さがあります。
友達と過ごす時間。
先生との出会い。
体育祭や文化祭。
部活動。
集団生活。
こうした経験は、学校だからこそ得られるものもあります。
ただ、それと同時に、
「学校という環境が合わない子どもがいる」
という現実も認める必要があります。
人間が一人ひとり違うのであれば、学び方も一人ひとり違っていい。
それは決して特別扱いではありません。
むしろ、違いを前提にした教育のほうが自然なのではないでしょうか。
「学校に行かない」という選択肢を、もっと普通にできないか
筆者自身も、義務教育の時代に「学校へ行きたくない」と思ったことが何度もありました。
当時は、
「学校へ行くのが当たり前」
という考え方が強く、
「行かない」という選択肢を考えること自体が難しかったように思います。
しかし、時代は変わりました。
インターネットが普及し、オンラインで授業を受けることもできます。
世界中の情報にアクセスできます。
動画で専門知識を学ぶこともできます。
プログラミングを学ぶこともできます。
学校とは違う場所で、人と交流することもできます。
昔と比べれば、
「学ぶ場所」そのものが大きく変わっている
のです。
それなのに、教育制度だけが「決められた時間に、決められた場所へ行き、同じ授業を受ける」という形を中心にしていていいのだろうか。
そんな疑問を持つのは、決しておかしなことではないと思います。
「学校に行く」も「行かない」も、一つの選択肢に
これからの教育に必要なのは、
「学校へ行くべきか、行かないべきか」
という二択ではないのかもしれません。
大切なのは、
「その子にとって、どのような学び方が合っているのか?」
を考えることではないでしょうか。
学校へ毎日通う。
それもいい。
通信制や柔軟な教育課程を選ぶ。
それもいい。
フリースクールを利用する。
それもいい。
自宅でICTを活用して学ぶ。
それもいい。
場合によっては、しばらく何もせず休む。
それも必要な時間かもしれません。
大切なのは、子どもを「学校へ戻すこと」だけではなく、
「学びたいと思ったときに、もう一度学べる環境を残しておくこと」
なのではないでしょうか。
まとめ
日本の義務教育は、決して「すべてが時代遅れ」と言い切れるものではありません。
誰もが一定水準の教育を受けられる仕組みは、日本社会にとって大きな財産です。
一方で、子どもたちの価値観や社会の環境が変化している以上、教育の形も変化していく必要があります。
現在では、小・中学校の不登校児童生徒が約35万4,000人に達するなど、不登校は決して一部の子どもだけの問題ではありません。
そして国も、教育支援センター、フリースクール、ICT学習など、多様な学びの場を確保する方向へ動いています。
だからこそ、これからは、
「学校へ行ける子ども」だけではなく、
「学校へ行けない子ども」も、
「学校以外で学びたい子ども」も、
それぞれが安心して学べる社会
を目指してほしいと思います。
「学校へ行く」という選択肢がある。
そして、
「学校へ行かない」という選択肢もある。
さらに、
「学校以外の場所で学ぶ」という選択肢もある。
そんな社会になれば、今とは少し違った形で子どもたちを支えられるのではないでしょうか。
筆者自身、義務教育時代には学校へ行きたくないと思ったことが何度もありました。
当時は「行くのが当たり前」であり、「行かない」という選択肢を考える余地すらなかったように思います。
あれから十数年。
社会は大きく変わりました。
だからこそ、教育も変わっていい。
「みんな同じ」ではなく、「それぞれに合った学び方」を選べる社会。
そんな教育の未来を願うのは、筆者だけでしょうか?
皆さんは、
「学校に行かないという選択肢」について、どう思いますか?
それではまた別の記事でお会いしましょう
🟡 おまけコーナー:「明日って何の日?」
9月14日
【セプテンバーバレンタイン】
「セプテンバーバレンタイン」とは、「女性から男性へ別れを切り出す日」という日本の非公式な記念日です。
バレンタインデー(2月14日)やホワイトデー(3月14日)からちょうど半年後にあたることから生まれました。
由来と歴史
1970年代から1980年代にかけて若者に絶大な人気を誇った、TBSラジオの深夜番組『パック・イン・ミュージック』が発祥とされています。
この風習が流行したことをきっかけに、1978年にはシンガーソングライターの佐々木幸男さんが、失恋バラード曲『セプテンバー・バレンタイン』(安部恭弘さん作曲)を発表して話題になりました。少女漫画などのエピソードにもたびたび使われています。
別れを告げる際の「ルール」
当時、この日に別れを切り出す女性には、以下のようなユニークで少し切ない独自のルール(お作法)がありました。
- 紫色のアイテムを身に付ける(悲しみの象徴)
- 白いマニキュアを塗る(冷めてしまった愛情の象徴)
- 緑色のインクで書いた別れの手紙を直接手渡す