大阪万博が開幕。でも…この未来は誰のもの?

2025年、大阪万博がついに開幕しました。世界が注目する一大イベント――のはずが、ネットやメディアでは「本当に必要だったのか?」という声が今も消えていません。私は以前、万博開催前の段階でその問題点について記事を書きました。チケットの価格の高さや海外パビリオンの着工遅れを取り上げ、「それでも行きたいですか?」と問いかけました。今回はその続編として、実際に始まった大阪万博を通じて、改めてその意義と問題点を見つめ直してみたいと思います。


開幕したけれど、課題は山積み?

まず現状を見てみましょう。公式には「未来社会の実験場」として謳われた今回の万博ですが、開幕時点でいくつものパビリオンがまだ未完成という事態になっています。特に海外パビリオンの一部は建設が遅れており、「中に入れない国がある」というのは、世界的な博覧会としては異例の状況です。

また、チケットの販売状況も楽観視できません。家族連れにとっては高額な入場料がハードルになっており、「未来を体験する機会」が経済格差によって左右されてしまう懸念もあります。


本当に“未来社会の実験場”になっているのか?

万博会場では、AI、脱炭素技術、バーチャル体験などが一部で展示されています。確かに未来を感じさせるコンテンツもありますが、それが日常にどう繋がるのか、誰の暮らしを豊かにするのか――そうした問いに対する明確な答えはまだ見えづらいように感じます。

また、SNS上では「インスタ映えスポット」としての一面ばかりが強調される傾向も見受けられ、商業的な側面と理念とのギャップに違和感を覚える声もあります。


開催の意義――どこにあったのか?

主催者側は、万博が生み出す経済効果や雇用創出、地域活性化を強調します。確かに、大阪湾岸地域の再開発やインフラ整備が進んだ点は評価されるべきかもしれません。

しかし、それが未来の社会課題の解決にどれほど寄与するのかは、まだ不透明です。パンデミックを経て、人々が求める“未来”は、きらびやかなテクノロジーよりも、安心して暮らせる日常や、人と人との繋がりかもしれません。


最後に、もう一度問いかけたい

今回の万博を通じて見えたのは、「未来社会とは何か?」という問いの難しさです。私たちは、誰のための未来を描いているのでしょうか。予算、建設、政治、メディア、そして私たち一人ひとりの関心……。

大阪万博は、確かに問題も多いイベントかもしれません。でも同時に、社会のあり方を問い直す鏡でもあります。だからこそ、ただ批判するだけでなく、今起きていることを自分なりに見て、感じて、考えることが大切なのではないでしょうか。

次に行われる大きなイベントが、もっと“私たちの未来”に近いものになることを願って。

それではまた別の記事でお会いしましょう

🟡 おまけコーナー:「明日って何の日?」

🗓 5月25日:ターミネーターの日
1985年のこの日、映画『ターミネーター』が日本で公開されたんだって🎬
「I’ll be back(アイル・ビー・バック)」の名セリフはあまりにも有名。
AIや未来のテクノロジーを描いた世界観は、いま改めて見るとちょっと現実味があるかも…?
映画の中の未来はハードだけど、私たちは「希望ある未来」を選んでいきたいよね。
今日はちょっと懐かしいSF映画で未来を感じてみるのもアリかも!