ストーカー被害がなくならないのはなぜか?
ここ数年、「ストーカーが関与しているのではないか」と思わせる凄惨な事件が報道される機会が増えていると感じませんか?
ニュースを見ていると、逮捕後の動機や経緯から「これってストーカー事件だよね」と思うことも多く、「誰の身にも起こり得る」という怖さを突きつけられます。
今回は、ストーカー被害の現状と、規制法の限界について考えてみます。
ストーカー被害の現状と件数の推移
ストーカー被害の件数は、警察が受理した相談や通報、規制法違反による摘発などから把握されています。
ただし、実際には「恥ずかしい」「仕返しが怖い」などの理由で通報されないケースも多く、氷山の一角にすぎません。
- 相談件数:警察庁によると、令和6年(2024年)のストーカー事案に関する相談件数は 19,567件。
- 禁止命令:規制法に基づく「禁止命令」は 2,415件と過去最多。
- 被害の深刻化:年間を通じて2万件前後で推移しており、ネットやGPSを悪用した「新しいストーカー行為」が増え続けています。
ストーカーは単なる「つきまとい」ではなく、エスカレートすると暴力や殺人などの重大事件に直結することも少なくありません。
加害者の心理 ― なぜやめられないのか?
ストーカー行為が繰り返される背景には、加害者の心理的要因があります。
- 強い執着心と支配欲:恋愛感情の拒絶を受け入れられず、「自分の思い通りにしたい」という欲求が暴走。
- 自己中心的な解釈:「本当は自分を好きなはず」「拒絶は本気じゃない」と都合よく解釈する。
- 共感性の欠如:相手の恐怖を理解できず、警告や禁止命令を無視する。
- パーソナリティ障害の関与:一部は境界性・自己愛性パーソナリティ障害などが背景にあるケースも。
- 行動の学習効果:被害者の反応が「報酬」となり、行動が強化される。
社会的要因 ― 被害者を取り巻く難しさ
ストーカーがなくならないのは、加害者の心理だけでなく、社会的な要因も関係しています。
- SNSの普及:被害者の生活や居場所が簡単に特定される。
- 支援体制の不足:専門相談窓口や心理ケアの人員がまだ十分ではない。
- 被害者の立場の弱さ:「相談しても信じてもらえないかも」と思い、孤立する人も多い。
- 対応の難しさ:毅然と断れない被害者の態度や、周囲の安易な介入が逆効果になることもある。
ストーカー規制法の限界
2000年に施行された「ストーカー規制法」は、たびたび改正されてきました。しかし、それでも被害が後を絶たないのはなぜでしょうか?
1. 新しい手口への対応の遅れ
- SNSでの誹謗中傷や監視
- スマートタグを悪用した位置情報の追跡
技術が進化するたびに法律は「後追い」になり、抜け穴が生まれます。
2. 被害者保護の不十分さ
- 警察が慎重になりすぎて初動が遅れる
- 禁止命令が出ても執着心が強い加害者には効果が薄い
- 個人情報流出など、逆に被害を拡大させるリスクも
3. 加害者への対策不足
- 更生プログラムやカウンセリングの強制力がない
- 心理的ケアが整備されておらず、再犯リスクが高い
4. 国境を越えるストーカー行為
- 海外からのネットを介したストーキングは規制が難しい
今後の課題と展望
ストーカー被害を減らすためには、被害者保護だけでなく、加害者へのアプローチも含めた包括的な対策が必要です。
- 迅速な対応:被害者の告訴を待たず、警察が柔軟に警告・命令を出せる仕組み。
- 加害者への治療・教育:心理療法や更生プログラムを義務化し、再犯を防止。
- デジタル対応:新しい手口に即応できる柔軟な法整備。
- 社会全体での意識改革:「被害を相談しやすい社会」づくりと、支援体制の拡充。
まとめ ― 私たちができること
ストーカー被害は、誰にでも起こり得る身近な問題です。
「自分は大丈夫」と思っていても、SNSの何気ない投稿から居場所が特定されたり、拒絶を誤解されたりすることがあります。
被害に遭ったときに重要なのは、一人で抱え込まず、できるだけ早く専門機関に相談すること。そして社会全体としても、被害者が安心して声を上げられる環境を整えていくことが欠かせません。
法律の強化はもちろんですが、私たち一人ひとりの意識と対策も、被害を防ぐための大切な一歩になります。
それではまた別の記事でお会いしましょう
🟡 おまけコーナー:「明日って何の日?」
🚃10月14日
【鉄道の日】
「鉄道の日」は、日本の鉄道が果たしてきた役割と、その発展を記念する日で、毎年10月14日と定められています。
由来
- 1872年(明治5年)10月14日に、日本初の鉄道が新橋駅と横浜駅(現在の桜木町駅)の間で開業したことを記念しています。
- 当初は「鉄道記念日」として、旧鉄道省が1922年(大正11年)に制定しました。
- その後、1994年(平成6年)に、官営鉄道だけでなく私鉄を含めた鉄道全体を祝う日として、当時の運輸省が名称を「鉄道の日」に改称しました。