「マルチワーク」という働き方、知っていますか?
少子高齢化による人手不足がますます深刻になるなか、いま注目されている新しい働き方があります。それが「マルチワーク」です。
この言葉を聞いて「副業のこと?」と思う方も多いかもしれません。確かに近い部分もありますが、マルチワークはより地域密着型で、多様な職種を掛け持ちするスタイルを指します。
今回は、そんな「マルチワーク」について詳しくご紹介していきます。
■ マルチワークとは?副業との違いは?
マルチワークとは、複数の職種や仕事を組み合わせて働くスタイルです。特徴は、時間帯・季節・場所などに応じて柔軟に仕事を変えていくこと。
副業が「本業にプラスして行う仕事」なのに対して、マルチワークは「複数の仕事を並列に担う」点が大きな違いです。
たとえば、こんな働き方があります:
- 季節で変える: 夏は林業、冬は観光ガイド
- 曜日で変える: 平日は会社員、週末はカフェ店員
- 時間帯で変える: 午前は農業、夜は配送スタッフ
■ マルチワークのメリットとは?
マルチワークには、以下のような多くのメリットがあります。
- 収入源の分散
複数の仕事から収入を得るため、1つの仕事に依存せず安定しやすい。 - スキルアップ
異なる分野の業務を経験することで、幅広いスキルが身につきます。 - キャリアの柔軟性
興味のある分野にトライしやすく、自分らしいキャリアを築きやすくなります。 - 地方創生への貢献
人手不足に悩む地方での仕事を担うことで、地域活性化にも貢献できます。
■ こんな点には注意を!
もちろん、マルチワークにも気をつけるべき点はあります。
- 時間・体力の管理
スケジュールや体調管理を怠ると、パフォーマンスに支障が出る可能性も。 - 人間関係の構築
複数の職場を持つぶん、それぞれの職場で信頼関係を築く努力が求められます。 - 健康の自己管理
頑張りすぎず、適切に休みを取ることも大切です。
■ マルチワークの広がり:地方と都市をつなぐ新しい動き
マルチワークは、今や全国的に注目を集めています。特に地方では、季節変動のある業種(農業・漁業・観光業など)が多く、「通年雇用」の難しさを補う手段としてマルチワークが活用されています。
注目の取り組み:
- 特定地域づくり事業協同組合(2020年〜)
地域の複数の事業者が連携し、マルチワーカーを雇用・派遣する制度。地域全体の雇用を支える仕組みとして注目されています。 - 自治体による支援
セミナーや現地ツアー、移住支援金など、マルチワーク導入を後押しする自治体が増えています。 - 企業側の副業解禁
日本経済新聞によれば、副業容認を通じて多様な働き方を認める企業も増加中。個人と地域の接点を広げるチャンスになっています。
■ 実際の事例紹介
- 鹿児島県枕崎市
水産加工・酒造業など6社が協力し、季節ごとの仕事をシェアして人手不足を解消。 - 島根県海士町
「特定地域づくり事業協同組合」を設立し、地域ぐるみで雇用を支える体制を確立。 - 茨城県・群馬県
農業と他職種の組み合わせによる就業支援を積極展開。
■ 地域にとって、ワーカーにとって。マルチワークがもたらすもの
地域の側面
- 季節変動のある業種の労働力確保
- 移住・定住者の確保
- 地域経済・観光の活性化
- 地域資源の再評価と活用
ワーカーの側面
- 収入の安定
- スキルアップとキャリア拡張
- 自己実現の機会増加
- 多様な人脈や経験の獲得
■ 最後に:自分らしい働き方、選んでみませんか?
かつて日本では「一つの会社で定年まで勤め上げる」という働き方が主流でした。でも今は、リモートワークの普及や価値観の多様化も進み、「移動しながら働く」「複数の仕事を持つ」といった選択肢も当たり前になりつつあります。
地方の課題解決に貢献しながら、自分のスキルや可能性を広げるマルチワーク。
「色んな仕事を経験してみたい」「全国を転々として暮らしたい」──そんな想いを持っている方にとっては、非常に魅力的なスタイルかもしれません。
ちなみに、私自身もいつかマルチワークをしてみたいと考えています。自由気ままに、いろんな町を訪れて、その土地の仕事に触れてみたい。……まぁ、“独身貴族”のうちしかできないかもしれませんが(笑)。
それではまた別の記事でお会いしましょう
🟡 おまけコーナー:「明日って何の日?」
🌏 8月6日は何の日?
🕊️ 広島平和記念日・原爆忌
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、およそ14万人もの命が失われました。毎年この日は広島市で慰霊式典が行われ、世界中からも参加者が集まり、平和への祈りを新たにします。
- 平和記念式典:8時15分に黙祷、子ども代表による平和の誓い、そして「平和宣言」など、世界平和を祈る内容が続きます。
- 灯籠流し:夜には約10,000基の灯籠が川に流され、犠牲者への思いと平和への願いが夜空に映し出されます。
- 歴史的背景:1947年には市民が「平和の祭典」として復興の意思を示した祭りが開催され、人々の強い「平和意志」が感じられました。