夏の風物詩、蚊取り線香の香り
夏の夜、ふと漂う懐かしい香り——。
「ジジジ…」という独特の燃焼音とともに、あの香りが漂うと「夏が来たな」と感じる方も多いでしょう。電気式やスプレー式の虫よけが主流になった今でも、渦巻き型の蚊取り線香は根強い人気を誇っています。
実はこの蚊取り線香、日本で生まれ、いまや世界中で使われていることをご存じでしょうか?
今回は、そんな「蚊取り線香」の開発秘話と進化の歴史、そして巻き方の謎に迫ります。
🐝 日本で生まれた蚊取り線香
蚊取り線香のルーツは、19世紀後半の日本にあります。
創業者・上山英一郎による大日本除虫菊株式会社(現在の「金鳥」)が、その歴史の始まりです。
▪ 除虫菊との出会い(1885年)
アメリカから伝わった「除虫菊(シロバナムシヨケギク)」という花。この花の成分には、蚊などの害虫を麻痺させる天然殺虫成分「ピレトリン」が含まれていました。上山英一郎はこの花の可能性に注目し、日本での栽培を開始します。
▪ 棒状の線香から始まった(1890年)
除虫菊を粉末にし、木粉などと混ぜて固めた「棒状の蚊取り線香」が誕生しました。
これが世界初の蚊取り線香、「金鳥香(きんちょうこう)」です。
しかし、この棒状タイプは30〜40分ほどで燃え尽きてしまい、一晩中の蚊よけには物足りませんでした。
🌀 渦巻き型の誕生──ヒントは“ヘビ”から
燃焼時間を延ばすにはどうすればいいのか。
そのヒントを見つけたのは、上山英一郎の妻・ユキさんでした。
ある日、庭で見た「とぐろを巻いたヘビ」の姿を見て、ユキさんは閃きます。
「線香もとぐろのように巻けば、長く燃えるのでは?」
試行錯誤の末、1895年に渦巻き型の線香が誕生。1902年、「金鳥の渦巻」として発売されました。
この渦巻き形状によって、燃焼時間は約6〜7時間に延び、寝ている間も安心して使えるようになったのです。
🏭 蚊取り線香の進化と普及
その後も蚊取り線香は改良が重ねられ、より安全で使いやすくなっていきました。
▪ 自動製造機の登場(1943年)
ライオンケミカルが蚊取り線香の自動製造機を開発し、大量生産が可能に。
戦後の日本では庶民の生活必需品として一気に普及しました。
▪ 化学成分の進化(1955年頃)
天然成分の「ピレトリン」に代わり、安定性と効果の高い合成成分「ピレスロイド(アレスリン)」が開発されました。
これにより、煙の量を減らしつつ高い殺虫効果を維持できるようになりました。
▪ CMでの定着(1967年)
「金鳥の夏、日本の夏」というキャッチコピーが誕生。
このフレーズが大ヒットし、蚊取り線香は「日本の夏の象徴」として文化的な存在にまでなりました。
🌏 世界へ広がる「日本の発明」
蚊取り線香は日本国内だけでなく、熱帯アジア、アフリカ、南アメリカなど、蚊が媒介する感染症(マラリア・デング熱など)が深刻な地域にも広まりました。
電気を使わず、安価で、しかも効果的。
電源のない地域では、今でも「命を守る道具」として活躍しています。
日本の発明が、世界中の人々の健康を支えているのです。
🔄 右巻き?左巻き?──巻き方の秘密
実は、蚊取り線香には「右巻き」と「左巻き」が存在します。
- 昔(手巻き時代):1950年代までは職人が手作業で巻いており、右利きの人が巻きやすかったため右巻きが主流でした。
- 今(機械生産時代):1957年頃から機械による生産が始まり、他社との差別化を目的に左巻きへと変更されました。
現在では「左巻き」が一般的ですが、右巻きを復刻販売しているメーカーもあります。
ちょっとした“巻きの向き”にも、時代の変化と技術の歴史が詰まっているんですね。
🌿 現代の蚊取り線香──進化する夏の定番
近年では、デザイン性や用途も多様化しています。
- ミニサイズや大型タイプ
- 屋外用・キャンプ専用タイプ
- おしゃれな陶器ホルダー付きセット
- 香り付き(ラベンダー・ハーブ系など)
見た目も機能も進化しつつ、「あの香り」は変わらず受け継がれています。
🇯🇵 おわりに──日本人の知恵が世界を守る
普段、何気なく使っている蚊取り線香。
その背景には、明治時代の発明家夫妻の情熱と、100年以上受け継がれてきた技術があります。
日本人の丁寧なものづくり精神が、いまも世界の人々の暮らしを守り続けている。
それは、まさに“渦巻きに宿る日本の知恵”と言えるでしょう。
それではまた別の記事でお会いしましょう
🟡 おまけコーナー:「明日って何の日?」
10月31日
🍵【日本茶の日】
10月31日は「日本茶の日」で、臨済宗の開祖である栄西が1191年のこの日に宋(中国)から茶の種子と製法を持ち帰ったことに由来します。この出来事により、日本で茶の栽培が再び広まり、庶民の間でも飲まれるようになりました。この日は、日本茶の普及を目的としており、茶の消費促進や文化の再認識を促す日です。
- 由来:1191年10月31日、栄西が宋から帰国し、茶の種子と製法を日本に持ち帰ったとされています。
- 日本茶の普及:栄西の活動によって、それまで一部の階級に限定されていたお茶が、庶民にも広まるきっかけとなりました。
- 目的:日本茶の消費を促進し、その文化や魅力を再認識してもらうことを目指しています。